大学生チッポラの小説

国立理系大学生。実話とフィクションを織り交ぜた小説を書いています。気ままに更新。

小学5年生の時に突然海外の公立校に入学したときの話①

ふと、過去の思い出を振り返りたくなったので、どうせならnoteで共有しちゃおうと思い立ちました。知恵も知識も持たないペぇペぇなお子ちゃまが、突然海外のしかも公立校に入学したときの奮闘記です。

 

あれはちょうど、僕が小学5年生の頃でした。

親の仕事の都合で、オーストラリアに転勤することになりました。

向かった場所は、オーストラリアのシドニー

都市としての規模も大きく、特にアジア系が多いので、

日本人としても住み心地の良い場所です。

 

当時の僕は、もちろんそんなこと知りません。

知っていることは冗談抜きで、

どうやらオーストラリアという国があるらしいということだけでした。

 

英語なんて全くできません。

小学校ではサンデーマンデーと曜日すら言えなくて、

英語の授業は退屈極まりないものでした。

 

そんな僕が入学した学校は、オーストラリア・シドニーにある公立校です。

普通であれば、日本人学校に入るところでしょう。

ですが、親はどうせなら公立校でしっかりと英語を学ばせたいと思ったようです。

実際それが功を奏して、ある程度英語が喋れるようになったので、感謝です。

 

オーストラリアでの日々は今思い返してみても刺激的でした。

僕の価値観を大きく変えたと思います。

ですので、個人的大好きエピソードを紹介しながら振り返っていきたいと思います。

 

入学当初の話

 

転校手続きを行って、いざ戦場へ。

転勤族ということもあり、僕自身は転校にはかなり慣れていました。

自分の歳より、引っ越し回数が多いというのが当時の僕の誇らしいレコードでした。

たいていの学校では、すんなりと馴染めたので、馴染めない恐怖はあまり考えていませんでした。

 

とはいえ、(当時の心持ちを鮮明には覚えていませんが、)かなり緊張していたと思います。

なんていったって、言語が通じない場所は初めてですから。

入国時は、興奮冷めやまずといった気持ちでしたが、

この時ばかりはべらぼうに緊張していたと思います。

 

たいてい転校生は自己紹介をしますよね。

第1印象というのはとても大事ですから、ここの当否はとても重要です。

なのに、当日まで僕はその存在を失念していました。

突然思い出した時には時すでに遅し。

 

「あれ?なんて言えばいいんだっけ?ハローマンデーセンキューサンデー…?

ちくしょう、なんてこった全くわからねぇ!

だが、ちょっと待てよ落ち着け。

先生は僕が英語を喋れないことを知っている...

そんな相手に話を振るだろうか...

いや、僕なら振らないな。」

 

なんとか心の落ち着きを取り戻し、

体育の授業中だった配属クラスに入っていきました。

先生が何やら英語で僕を紹介してくれています。

僕は悠然とした雰囲気で、直立不動。

話が終わったところで、お辞儀をしよう。

そう思っていたのに、何やらおかしい。

先生が僕に話を振っている。

いやまさか。

...あれ?

 

これは自己紹介をしなさいという合図じゃないか。

まじかよ...

さっきまでの悠然はどこへやら。

脳みそフル回転、冷や汗総出勤。

やっとのことで、絞り出した挨拶が

「ハロー、ハワユー。センキュー。」

 

上出来です。

そうでしょう。

頑張ったと思います。

その後のちょっとした「間」なんて覚えていませんよ。

確か心を鷲掴みにしたはずです。

 

そして、先生がクラスの2人の女子生徒を僕に紹介しました。

その2人の生徒は、中国人と日本人のハーフでした。

日本語が少し喋れるようで、サポートしてあげてくれといった感じです。

 

...いや、先に言えよ!!

そしたら翻訳してもらえたやん!!!

出かかった言葉をなんとか飲み込んで、一礼しました。

ここから、僕のオーストラリア奮闘記が始まりました。

 

ここで、一つ大事な補足をしておきます。

英語も全く喋れない僕が、

オーストラリアの公立校に入学できた理由は、

ESL制度のおかげです。

全ての公立校ではないですが、僕の通うことになっていた公立校には、

ESLといって、英語の補助をしてくれる特別クラスがありました。

僕は、通常のクラスに配属されたわけですが、授業を抜け出して、

ほとんどの時間をESLで英語の勉強をしていました。

先生はネイティブの先生なので、日本語でのサポートはありませんが、

簡単な英語で、例えば絵本なんかから勉強を始めるので、特に困ることはありません。

こういった制度があるのも、移民国家特有かもしれません。

 

それからどしたの

 

この頃の子供って、本当に最強だと思います。

恥とか自尊心とか、そういうのが全然気にならないというか、

気づかないというか。

言語も通じないのに、内に篭ってしまうこともなく、

もはや英語とも言えない独自言語をべらべらと喋って会話を試みるんです。

今思い返すと恥ずかしいですが、当時は全然恥ずかしくなかった。

それに、周りも理解してくれるんですよね。

しかもそこに違和感なく、「こいつ何言ってんだろう」みたいな変な空気感も一切ありません。

だから、僕は英語を流暢に喋っているイメージな訳です。

逆の立場から見たら、多分奇声をあげているだけなような...

 

やはり思い出したらめちゃくちゃ恥ずかしいです。

 

だけど、それがあってか、段々と英語も喋れるようになってくるんです。

これがまた人間って不思議だなぁと感じますね。

 

もちろん初めは一切喋れないので、女子生徒の2人にひたすらサポートしてもらいました。

大体ずっとこの2人と一緒にいましたが、途中から僕は他のクラスメートと仲良くなり(独自言語の賜物ですね)、野郎どもで昼休みを満喫していました。

 

当時流行っていた遊びが通称ハンドボールというものです。

これは、一般的なハンドボールとは違います。

昼休みに中庭で永遠遊んでいた方のハンドボールは、

テニスボールより少し小さいぐらいのバウンドするボールを、

手足を使って、打ち返す遊びです。

各々に四角い陣地があって、プレイヤーは1バウンド以下でボールを返して相手陣地に入れます。うまく返せなかったり、場外プレーをするとアウトです。

ルールとしては卓球に近いかな?

 

最強技は、確かキックでしたね。

ボールが小さいのでなかなか難しいですが、

うまく蹴りこんで、相手陣地にスマッシュできれば、勝ち確です。

 

学校の中庭と大きな公園みたいな外庭には、白線で陣地が刻み込まれていました。

あれはもう伝統だったのかな…?

休み時間は限られた陣地を奪い合い、永遠とハンドボールしていました。

 

異文化交流はアニメとともに。

 

ここで、僕が異文化交流を深めることができた一番の立役者を紹介します。

アニメです。特にナルト疾風伝です。

いやはや、日本のアニメ文化というのは本当にすごいです。

アニメ遊びというのは、もはや万国共通に近いんじゃないでしょうか?

日本人として、とても誇らしいです。

是非にも守りたい文化です。

 

世代的に、この頃はナルト疾風伝が流行っていました。(今なら鬼滅の刃かな?)

日本の小学校にいたときも、

あれは神奈川に住んでいたことだったかな、

3、4年生の頃遊んでいた記憶があります。

友達はナルト役で、僕はロック・リー役でしたね。

言っておきますが、決してゲジ眉でもおかっぱでもありませんでしたよ?

ナルト役の子は螺旋丸をねり出して、

僕は木の葉旋風と叫んでくるくる回っていました。

効果音は全て自前です。

ブシューだのデュデュデュだの狂ったように吠えていたのを覚えています。

めっちゃ恥ずいですよね幼少期って。

 

オーストラリアでも似たようなものでした。

アニメの中では、忍術が用いられるわけですが、

印を結ぶ手の動きも詳細に描写されているんです。

それを読み取って、動きを真似して、お披露目するわけです。

おぉー。という声が上がるんですよね。

<<ちくしょう、恥ずかしい!!>>

それに、僕は創作が昔から好きだったこともあり、

巻物を色画用紙で自作したりなんてこともしました。

一つ作って学校に持っていたら、

「ウワォー!なんてクールなんだ!僕にも作ってくれ!」

っという声が殺到したんです。

これは単純にすごく嬉しかったのを覚えています。

 

初めて友達の家に行ったときも、

テレビはナルト疾風伝EnglishVer.でした。

 

 

移民国家のような異文化が混じり合う所では、どうしてもアイデンティティーというものを意識するようになります。

たとえ幼い歳だったとしても、無意識のうちに考えてしまうものだと思います。

違うのが当たり前の世界だと、自分は何が違うのか知ろうとするのは必然なものでしょう。

それに悩むこともあります。

多分に漏れず、僕も無意識下で「自分って何だろう」と感じていたのだと思います。

そんな中で、アニメというのは明確に日本文化だという認識がありました。

身近に存在するものに、日本人としてのアイデンティティーを発見できたことは、当時の僕の強力な心の支えになっていたと思います。

 

自国の文化を守り、受け継ぎ、そしてグローバル社会の中でできる限り世界に発信していくというのは、自分がどういう文化を持つどういう人間かを認識して、自分に対する矜持をもつためにとても大切なことのように思います。

 

個人的に、僕は日本文化が好きです。

お寺とか神社とか紅葉に映える景色だったり、

繊細な伝統工芸品だったり、めちゃくちゃうまい日本食だったり、

それこそアニメ・漫画文化や、MadeInJapanが誇らしく感じるものづくりの精神だったり。

綺麗だなぁ、いいなぁと思うものがいっぱいあります。

もちろん、反対に悪いところを見つけることもあります。

それも含めて、日本の性質に気づけたのは、

やっぱりオーストラリアでの経験あってかもしれないなぁと思いました。

こういう振り返りってやっぱりいいですね。

 

ちょうどいい区切りですので、パート1はこの辺で終わらせておきます。

思い出すと色々なことがあったなぁと感慨深いものです。

ヘンテコな思い出ですが、読み物として楽しんでいただけたら嬉しいです。